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日本

中華民国の豊子愷 芸術と宗教の融合を求めて

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中華民国の豊子愷 芸術と宗教の融合を求めて

著者
大野公賀
出版社
汲古書院
出版年月日
2013.02
価格
¥9,900
ページ数
310
ISBN番号
9784762929960
説明
※出版年が古いので新本ですがヤケ・シミ・痛みがございます。
激動の時代を生きた漫画家・随筆家―豊子愷の多彩な活動と思想的特質に迫る。
【序 章】より
 豊子愷(ほうしがい、一八九八-一九七五)という名前を聞いて、多くの人が直ちに連想するのは「子愷漫画」と称される独自の挿絵であり、『縁縁堂随筆』に代表される散文であろう。豊子愷はまた、晩清から民国初期の中国文芸界で活躍し、一九一八年に出家した高僧、弘一法師(俗名李叔同)の芸術および仏教両面における高弟としても知られているが、その「ある種、仏教哲理に基づいた観点で生活を観察し、世俗の事象に事理を見出し、些細な事物について読者を飽きさせることなく見事に語る」散文や、「極めて日常的でありながら、(中略)質朴さの中に深遠で果てしない趣を含む」漫画は、上海など都市部の新興知識階級を中心に絶大な人気を博した。豊子愷はそのほかにも芸術教育に関する著述や翻訳を多数発表し、『源氏物語』や夏目漱石『草枕』などの翻訳を手がけ、また立達学園や開明書店の創設にかかわるなど、多方面で活躍した。中華人民共和国の成立後、毛沢東の「文芸講話」路線が文学や芸術全般における国家全体の指導指針として確立する中、豊子愷は活動の中心を漫画や散文の創作からロシア語や日本語の翻訳へと移行させた。しかし一方で、中国美術家協会常務理事や中国対外文化協会上海分会副会長などの要職に任じられ、本人の意思とは裏腹に体制に組み込まれていく。
 本著では豊子愷の思想的特質を分析し、また民国期における豊の多彩な活動との影響関係について論じる。それによって、一九三〇年代上海に〝海派〟文壇や左翼文壇のほか〝京派〟文壇と同様に、「国民党の専制体制を憎悪するいっぽうで、中国共産党主導の革命に不安を抱」き、啓蒙による国民の創生と国家建設を目指した「開明同人」の文壇が存在し、都市の新興知識階級を中心に、少なからぬ影響を及ぼしていたという点についても考察したいと思う。